選挙へ行こう〜よ。

公に公平に成人一人につき一つの票を入れる事ができるのに

ほとんどの人達が公に意見を言えない空気。

(誰に入れる、どこに入れる暗黙の了解、

タブー、意見を押し殺すとでもいうのかな)

 

子どもの頃から特定の誰かを選んだり、長を決めたり

どこかに属したり誰かの下についたりということが

苦痛で嫌でたまらない子供だったと思う。

 

それは今でもあまり変わらないか。

 

 

他界した父は選挙好きだった。

子供ながら「この人選挙になるとテンション上がるなぁ」と

よく思ったもんだ。

 

知ってる限りの記憶を解いていくと、、。

 

祖父(父方)は竹富町長選挙に立候補し落選したそうな。

多分僕が生まれる前の事だったのかな。

 

しかし父からその話は聞いた事がなかった。

おそらく一家のタブーだったんでしょうね。

 

いとこの兄さんもやはりそこを目指して何回かチャレンジしてるみたい。

何かしら血というか潜在的に”長”を目指す気質が一族の中にあるのかもね。

 

 

でも、うん、そう。

他人事に感じる自分がいるんです。

いくら身内でもそこは他人事なんですよ。

冷酷なのかなぁ本質的に。

 

家族であっても近親者であっても応援したり支持したりする事は無い。

 

なぜか?

 

客観的、公平的に物を見たりするのが子供の頃から染み付いてるんだと思う。

 

誰を好きになるか、何を思うかは各々の自由。

 

例えば人からの指示だったり命令だったり、知り合いからの誘致、哀願だとしても

己の心持ち次第だからね。

 

「うんうん、わかるけどね、悪いね。あとは自分で決めるわ」で終わる。

 

それはこの先も変わらない、変わりようがないもんね。

 

 

不条理、理不尽は世の常。

それでも人は生きていかなければいけない。

 

不平不満を抱えながらも陽気に何かしらのよりどころを支えにし糧にし。

 

僕の場合だったら音楽とギターとあと何かな。

一仕事終えたあとのビールだったりお酒、美味しい八重山そばだったり。

相変わらずショボイね(笑)

 

 

みんなで選挙へ行こうよ。

勇気と優しさと愛情を持って明るく楽しいこの国を目指す一人としてね。

 

誰に入れたっていいんだよ。

 

こんな自由があるんだからさ。